私は小さな頃から感受性が豊かだと言われていた。
今まで、そのことについて深く考えたことはなかったが、最近やっとその意味を理解した。
感受性の豊かな人は、相手の気持ちを優先しやすい
私が小学4年生の頃、林間学校のグループ決めが行われた。男女それぞれで4人組となり、それをくじ引きで組み合わせるという方法だ。
私はすぐに仲良しグループのところへ駆け寄った。しかし、仲良しメンバーは5人だ。誰かひとりが外れなければならない。そんな気まずい雰囲気がただよった瞬間、私はみんなが考えていることに気づいてしまう。
私は絶対に抜けたくない。じゃんけんで決めるとかいやだ。誰か抜けてくれたらいいのに。
そんな声が聞こえてきた。
その結果、じゃんけんをするでもなく、私が抜けるよと声をかける。
そのとき、みんなが心の中で喜ぶ声が聞こえた。抜けてくれた!私は残れる!よかったって。公平にじゃんけんで決めようよと声をかけてくれる子なんていなかった。また、林間学校へ行っている最中も、私の様子を気にしてくれる子なんていなかった。
ただ、嫌われていただけだったかもしれないけど
結局人は他人ではなく、自分が一番なんだと感じた瞬間だった。誰かのために自分を犠牲にするなんて、普通の人にはできないことなんだ。
私は感動的なシーンを見るとすぐに泣ける。CMくらいの短さでも感動できる。それは自分が涙もろいだけだと思っていたけど、相手の気持ちを察して、同調できるから泣けるのだとわかった。
それこそが感受性が豊かだということ。
それは生きていくうえで、非常につらいことだ。男女の関係に限ったことではない。友達同士でも、店員と客という関係でも、自分がどんな立場でも相手の気持ちを優先する。
ただの良い人。
ただの良い人はダメ男に振り回される
結局、感受性の豊かな、相手の気持ちを思いやれる人というのは、自分を犠牲にして、相手の望むように行動しがちになる。
相手の気持ちを誰よりも察するために、相手の望むように動いてしまうのだ。自分の感情とは別に、勝手に相手のために動いてしまう。
そういう人は、ダメ男に限らずだが、人に利用される。そういう私も散々利用されてきた。
最初はみんな平等だ。しかし、人は交流していく中で、相手を試す。遅刻したら許してくれるか。これをお願いしたらやってくれるか。浮気しても怒らないか。お金をすんなり貸してくれるか。
人は結局自分が一番だ。自分のことしか考えていない人を見ると、悲しい気持ちになるが多くの人にとって、それは普通のことである。相手のために自分を犠牲にしようとは思わない。
あなたがそういう性格なら、もう仕方ないと諦めるしかない。私も結局変えられなかった。だから、利用してくるような友達はどんどん縁を切った。まぁほとんど残らないよ
あなたを利用してくるダメ男から抜け出すためには、あなた自身が変わるか、あなたが彼の気持ちを優先しても、態度の変わらない似たような人を見つけるかしかない。
ちなみに私の場合は後者だった。数は非常に少ないけど、数撃ちゃ当たる。
この性格はつらいけど、それも自分のいいところだと割り切って進むしかない。きっとどこかにいい人はいるから。
進めアラサー!!